ケニア宣教報告(7月)

2026・7・13

6月6日に成田空港に到着、その晩は神栖教会に泊めていただきました。翌日は神栖教会の召天者記念礼拝に出席し、愛餐の後、教会墓地での母(蔦田善子)の納骨式に参列を許されました。

少し前から来日中のシェリル姉妹が朝から加わって下さったことも感謝でした。シェリル姉妹のご両親は、WGMから、後に当時のウェスレアン(現GP)から日本に派遣された宣教師のバルカー御夫妻です。30年近くを日本宣教に費やして下さいました。彼女は日本育ちのMK(ミッショナリー・キッズ)で私より少し年上なので、子供の頃、丸の内教会(現・中目黒教会の前身)にご家族がいらした時は、よく遊んで頂きました。当時私は神学院内に在住でしたので、神学院のクリスマスのお祝いの夕べに共に出席という共通の思い出もあります。今回は特別なサポートが与えられ、ご自身のお嬢様方を連れて、ご自分のルーツを紹介する旅、という事でした。

先日のケニアでのリトリートの時、TCK(サード・カルチャー・キッズ。第3の文化で育った子供。日本では帰国子女という言い方もします。)の講義がありました。ご自身も宣教師の子供としてケニアで育ったB兄弟が講師でした。

まず、赤と青それぞれのカラフルなスポンジボールをばらばらとボウルに入れて混ぜ合わせました。「これが親世代」。赤をアメリカ文化、青をケニア文化とすると、アメリカで育って、召命を受け、ケニアに派遣されケニア文化にさらされ、受け入れていく。親の世代も、数年ケニアで過ごして帰国すると、自分の中のケニア文化と現在直面しているアメリカ文化との間にギャップを感じて惑う事がよ

くあると聞きます。「次に」と彼が取り出したのは、カラフルな青の粘土と赤の粘土。手の中でグニャグニャと混ぜ合わせました。もう赤も青も分からず、どちらかの色を取り出すことも出来ません。「これが皆さんのお子さんに起きている事です。」と説明がされました。

今回、シェリル姉妹が驚くほど日本語や歌や事物を覚えておられることに感嘆しつつ、ご滞在が良い時となるよう祈りました。

日曜の夕方、今度は神学院に移動しました。一週間ほど前から、WGMから祈りのチームが来日中で、月曜に帰国だったからです。今回の日本へのチームは若い方中心でしたが、以前テヌウェク病院の看護学校(現・保健大学)で教鞭を取られていたバーバラ・ピンクリー宣教師も、メンバーでした。数年前に引退され、なかなか会う機会がなく、「日本に居る間に」と面会を希望して下さいました。ケニアにまだいる時に、「今度日本に行く」との連絡を頂いてはいましたが、日程がギリギリで、再会は難しいと思っていましたが、機会が与えられ感謝でした。滞在中のベテルハウスに一泊し、ゆっくりと近況交換、互いに祈り合う時が与えられました。長く教鞭をとっておられることは知っていましたが、彼女の赴任当時に看護学校はまだなく、学校の設立から関わっておられたこと、アメリカで既に助産師として7,8年の経験を既に積んでおられたものの、ケニアの看護協会の求めに応じて、ケニアの助産師学校入学から始めケニアの助産師資格を取られたことも改めて聞きました。

バーバラ・ピンクリー宣教師(左)、蔦田就子宣教師、田辺宣恵先生(右)

「帰国中の滞在はどうするの?」と、出発前に取り囲んで祈って下さった宣教師の方々に聞かれ、ミッションハウスの事を説明して大変うらやましがられました。すぐ住めること、入居時と退去時のガス水道電気などの手続きが不要な事、入居当初は当座の食料なども準備していて下さること、などなど本当に助けられています。 私は、これから一年日本に滞在予定です。宜しくお願い致します。

祈祷課題:ケニア(蔦田就子)

◆ミッションハウスに無事入居できた感謝。

◆医療保険料未払いの解消など、病院の経済的な必要の満たしの為。

◆病院の働きが福音の為に用いられ、働き人(ルカ10・2特に麻酔科、整形外科、脳外科、泌尿器科、主任室)が起こされるように。