やさしい聖書のお話(2)
2016年9月4日に、小川宣嗣先生(インマヌエル聖宣神学院教会牧師)をお招きして
「やさしい聖書のお話 2」をしていただきました。
小川先生は、千葉県 船橋市生まれ。
神学校を卒業後、鹿児島などの教会を経て、今は、横浜にあるインマヌエル聖宣神学院教会で牧師をしておられます。
ご家族は、副牧師であられる奥さまと、3人のお子さん(1男、2女)、犬のバルちゃん。
讃美がとてもお上手で、福音讃美歌協会の理事もしておられます。
誰に対しても優しく、温和で礼儀正しいお人柄。当日のメッセージを以下にまとめましたので、ぜひお読みください。
「このつながりがすべてを変えます」 メッセージ:小川宣嗣 牧師(聖宣神学院教会)
ところで、 十二年の間長血をわずらっている女がいた。
この女は多くの医者からひどいめに会わされて、 自分の持ち物をみな使い果たしてしまったが、 何のかいもなく、 かえって悪くなる一方であった。
彼女は、 イエスのことを耳にして、 群衆の中に紛れ込み、 うしろから、 イエスの着物にさわった。
「お着物にさわることでもできれば、 きっと直る」と考えていたからである。
すると、 すぐに、 血の源がかれて、 ひどい痛みが直ったことを、 からだに感じた。
イエスも、 すぐに、 自分のうちから力が外に出て行ったことに気づいて、 群衆の中を振り向いて、 「だれがわたしの着物にさわったのですか」と言われた。
そこで弟子たちはイエスに言った。 「群衆があなたに押し迫っているのをご覧になっていて、 それでも『だれがわたしにさわったのか』とおっしゃるのですか。 」
イエスは、 それをした人を知ろうとして、 見回しておられた。
女は恐れおののき、 自分の身に起こった事を知り、 イエスの前に出てひれ伏し、 イエスに真実を余すところなく打ち明けた。
そこで、 イエスは彼女にこう言われた。 「娘よ。 あなたの信仰があなたを直したのです。 安心して帰りなさい。 病気にかからず、 すこやかでいなさい。 」(聖書箇所:マルコの福音書5章25〜34節)
9月1日は防災の日でした。
その前後に台風10号が東北・北海道に上陸。大きな被害が出ました。
今年は九州熊本・大分で大地震が発生しましたが、それからもうすぐ5ヶ月。東日本大震災から5年半が経過します。
我が国は本当に自然災害に見舞われることが多い事を思う中で、大切な教訓は、そうした大きな災害や出来事の中で孤立してしまっては生き延びられないということ、みなで繋がり合い、助け合うことの大切さです。
繰り返して、人と人との繋がりの大切さが確認されています。
現代は本当に便利な時代で、SNSのように災害時にいち早く安否確認が出来る手段もあることはすばらしいことです。
しかし同時に、このインターネットやSNSの繋がり方が、あまり良くない意味で支配されたり束縛されたりということにもなる危険性があることも確かです。
以前は、「人生は出会いで決まる」と言われたものですが、現代風には「誰とつながるかが、その人に一生を左右する」ということかもしれません。
ここに一人の女性が登場します。とても気の毒な境遇にありました。12年もの長い間、長血という病気に罹って苦しんで来た人です。
長血とは、出血を伴う婦人科系の病気と言われます。出血が止まらない症状と、かなりの痛みが伴うとのことです。
しかし、そうした身体に表れる症状以上につらいことがありました。この病気に罹ると、その当時の社会から弾き出されてしまうのです。
旧約聖書レビ記15章25~27節にありますが、女性が出血を伴う病気に罹ると、宗教的な規定によって汚れた存在とされ、人前に出ること、人と人とのお付き合いが許されなくなってしまいます。
すなわち社会的、精神的に孤立してしまうのです。独りぼっちです。身体も心もボロボロです。
勿論、治したい、元気になりたいと医者通いをしました。しかし26節、いやされるどころか悪くなる一方で、人生正に踏んだり蹴ったりの状況に陥りました。
そんな時に彼女は救い主イエスについて耳にします。
その驚くべきみわざ、すばらしい教え、すごい人気・・・、しかもその方が自分のいる町に来ておられる。
何としてもこの方の所に行こう!もしかしたら、イエス様なら私をいやして救ってくださるかも知れない。
かすかな希望を抱きながら、勇気を振り絞って家を出て、多くの人々が主イエスに従って道を歩いているその中に紛れ込み、後ろからそっとイエス様に近づいて行きます。
そして、彼女が主イエスに触れたときから、心と生涯が本当にすばらしく変えられて行きます。
この女性の姿から、私たちを変えるすばらしいつながりについて考えてみましょう。
1.自己流のアプローチ、つながり方をした女性(27,28節)
彼女は、自分の病気や立場をよく弁えていました。大っぴらに、正面から「私を治してください」等と近づくことは出来ません。そんな資格はないと自覚しています。
でもその心には、確かに主イエス様なら何とかしてくださると信じる気持ちも働いています。「この方にさわることでも出来ればきっと直る=救われる」。とても自己流のアプローチ・近づき方・つながり方です。
別に主イエス様の着物(別訳では上着のすそ飾りの房)に特別な癒しの力があるわけではありません。
ある意味では、この女性の信仰はとても不完全・不十分です。しかし、イエス様に近づいて、イエス様にふれさえすればきっと何とかしていただける、という主イエス様を信じて、求めて、個人的につながろうとする心がありました。
その心と求めは、主イエス様の御力を引き出します。29節。
主イエス様は、動機ややり方は時に非常識であったり不完全・不十分であっても、ご自身を求めて近づこうとする人を祝福されます。
今朝も、色々な思いを抱きながらここに座っておられる方々があるでしょう。しかし、主はお一人一人がご自身に近づいてきておられることを喜び、祝福してくださいます。
2.もっと深いつながり方を求めて振り向かれる主イエス(30節)
この女性は、そっと後ろからイエス様に近づき、触れて、つながって、不思議な癒し御力を体験しました。
この人の求め、願い、つながりは、いやしの力に向けられていました。
しかし主イエス様は、この人とのつながりをそのレベルで終わらせたくないと思われたのです。
主はピタッと足を止めます。31,32節 だれがわたしにさわったのですか。周囲は群衆でごった返しています。弟子たちの反応は「そんな無茶な、こんな状況で分かるはずがありません」というものです。
ところがイエス様はあきらめようとしません。立ち止まり、振り向き、じっと見回し続けるのです。
主イエス様の強い意志と願いを感じます。
いやしの力を求めてつながろうとした人と人格的に向き合い、何としても人格的なつながりを持とうとされるのです。
長血という病で12年間も孤独の中で苦しんできたこの女性を、身体が治ればそれでOK、良かったね、サヨウナラ、と帰らせないのが主イエス様です。
本当のいやしや救いのためには、心の中にずっとため込んできたものが処理されなければならないことを主はよくご存じでした。
だれですか?主のみ声を聞いて、この女性は恐れおののきます。「どうしましょう」。
しかし、主イエス様にふれてつながった時に感じた力に押し出されるようにして、主イエスの前へ出て行きます。「それは私です」33節。
そして真実を余すところなく打ち明けたのです。12年間ずっと味わってきた痛み、苦しみ、孤独感、自分自身に対する思い、病気に対する思い、社会に対するうらみ、切なさ、やりきれなさ、怒り、憎しみ、絶望・・・、全てを主イエス様に対してはき出した時、その全てを主は受け止めてくださったのです。
自分の身に起こったことを真実に全て打ち明ける、そんなことは恐ろしくて出来ない。そんなつながり方をしたら一体どうなるのか?今の時代、ネットバッシングの恐ろしさはよく知られています。
つながる相手がどんな人か分からない。自分をさらけ出そうものならどう扱われることか。
しかし主イエス様に関しては、本気でつながって絶対に大丈夫。
その理由が教会に掲げられている十字架です。ご承知のように、十字架は処刑の道具であり、徹底的な恥辱を与えて死に至らせる手段です。罪のない主イエスがその刑を甘んじて受けてくださった。徹底して辱められ、傷つけられ、捨てられ、弾かれてくださいました。
この十字架を主イエス様が通ってくださった事実の故に、どんな人も、どんな傷も、どんなに恥ずかしいことも、主の御前に隠す必要なく持ってゆくことが出来るのです。十字架上の強盗の一人も、主イエス様を徹底して裏切って否定した弟子のペテロも、姦淫の現場で捕らえられた女性も、主に受け入れられ、赦され、立ち上がることが出来るよう導かれて行きました。
3.信仰によって主イエス様につながって生きる人へ(34節)
娘よ、との言葉が意味することは、あなたは神に愛されている祝福の存在ですよ、ということです。
最初は、いやしの力だけ、いわば御利益だけを求めた女性のつながり方は不完全な信仰でした。主はその女性を「だれがわたしにさわったのか」との問いかけ、招きによってより深いつながり方・信仰へと導かれ、この人が全てを打ち明けて人格的なつながり方を受け入れたとき、本当に救い・いやしがこの人の心と生涯に実現したと宣言されました。
主イエス様の与える救いの中心はここにあります。主イエス様と心と心がつながって生きるとき、本当の平安・安心が生まれ、そのうちなる平安を健やかさは揺るぐことがありません。主は言われます。「安心して行きなさい」英語の表現ではGo in peace!です。
リオオリンピックで大活躍して、男子テニスで96年ぶりに銅メダルを獲得した錦織圭選手。
錦織選手のコーチとなってその才能を大きく開花させ、男子テニス界に君臨する世界のトップ4人を倒すまでに導いているのがマイケル・チャンさんです。彼自身テニス選手として活躍し、ウィンブルドン優勝など世界ランク2位まで上がったことがある人物です。
そのマイケル・チャンさんがクリスチャンであることは有名ですが、錦織選手に技術面のみならずメンタル面に大きな影響を与えたと言われます。そのご本人の証しがあります。
「私はプロとしては身体が小さすぎ、力がなく、まず成功する事はできないだろうと多くの人に言われました。実際、プロの世界はとても厳しかったと思います。今でさえも私より大きな選手と対戦する時には、背の高さと力の足りなさを感じます。しかし、私はコートの外と内を含めた人生の中で、肉体の大きさや強さ以上に大切なものを見つけました。それは、正に神様との関係を持つということであり、すべてにおいて違いが表れることになったのです。私にとっての最初の大きなタイトルであった全仏オープンで優勝した時、私はたったの17才でした。簡単にうぬぼれて、思い上がった者となっていたかも知れません。
しかし、イエス様に焦点を合わせていた私は、お金や名声または勝利の魅惑の虜とならずに済みました。もし平安を望んでいるなら、あなたの人生を精算する方法が一つあります。完璧な人などいませんし、完璧な人生というものもありません。しかし、私たち一人一人が、神の御子イエスキリストを通し、かみさまのとの個人的な関係を持つことによって、完全なる恵みを体験することが出来るのです。」
イエス・キリストと繋がる時、あなたの心と人生が、本当の意味で祝福されたものとなります。
イエス・キリストを心にお迎えするとき、そのつながりが全てを変えるのです。
住所・電話・FAX
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