公信253号(2025年9月)

働き人の必要のため、10時2分のお祈り(ルカ10章2節にちなんで)を有難うございます。看護師が2人、麻酔科スタッフが3人加わりました!ここ数か月は、麻酔科スタッフの不足で手術室を毎日1,2室閉じたり、眼科や内視鏡室などに派遣できないためのキャンセルをしたりがありましたが、正常化しつつあります。それでも改築したもののスタッフが足りなくてまだ稼働できないエリアがいくつかあります。さらに、新たに週2日で麻酔科外来をオープンしたので、なお働き人が必要です。引き続きお祈りをよろしくお願い致します。

Run, Ben, Run!(ラン、ベン、ラン!走れ、ベン、走れ!)を合言葉に、10月18日に米国でテヌウェク病院のCEOである、ベンジャミン・シエレ兄弟がフルマラソンを走ります。心臓外科手術などのための医療費が払えない方々のためのチャリティーマラソンです。昨年初めてテヌウェク病院近郊で同様の趣旨のチャリティーマラソンが行われ、毎年やろう、とは言われていたものの、今年初めの病院の経済状況が非常に厳しく、一時は開催を断念。しかし、10月に米国で、11月にまたテヌウェク病院周辺で、と実施されることになりました。日本だと42.195キロですが、アメリカではフィートに換算し、1フィートにつき1ドル、という募金も始まっています。最初のキーワードで検索すると、筆頭は別のベン氏が米大統領選に出馬するための同名のフェイスブックが出て来ますが、YouTubeの筆頭は今の所テヌウェク病院CEOのベン兄弟のアピールビデオが出て来ます。CEOをされるくらいですから卒業したてのようなご年齢でもないので、ベン氏の健康のためにもお祈りください。テヌウェク病院側では、11月の実施に向けてTシャツの販売なども始まりました。

9月のある日曜日は、長期休暇を使ってガリッサという不便な地域を訪問したユース・ミッションの報告がありました。教会やクリニックでの奉仕、乾燥地帯なのでひざ丈位の黒いシートで囲った小さな家庭菜園作りの指導などの様子が写っていました。「今から50年後、テヌウェク病院がもう一つここに出来ているのでは」というヴィジョンも語られました。

9月恒例のWGMケニア教区会には、新任宣教師の一人としてホーリー・ミュールハイゼン宣教師をお迎えしました。「どーもー、おひさしぶりですー」と日本語で挨拶して下さり、私の方が右脳と左脳の切り替えがとっさに出来なくてまごまごしました。ケニアで幼少期を過ごされた宣教師の子供、ミッショナリー・キッズ、MKであり、ご存じの通り日本でつい最近まで宣教師として奉仕して下さいました。教区会には、現地協力教会のアフリカ・ゴスペル・チャーチ(AGC)の先生方もおられ、「児童伝道に加わって下さる宣教師は初めて!」と大変喜んでおられました。お証の中で、「ケニア育ちではあるけれども、最近のケニアはまた新しい文化なので、順応していけるようにお祈りください」とおっしゃっておられたのが心にとまりました。

確かに、私が初めてケニアを社会人のうちに訪問したのが1995年、その後宣教師として訪れた5年後の感想は「ほとんど同じだなあ(変わっていないなあ)」でした。が、ここ最近はまさに日進月歩、ナイロビ周辺は特に目様しく、ほんの1か月でもがらりと様相が変わっています。

ホーリー宣教師はこれからザンジバル島でスワヒリ語の学びをされ、次の再会は12月のWGMケニア教区会となります。その後もう1か月学びをされて、ご奉仕に加わられます。学びの為、ケニア文化への再順応の為、お祈りください。

なお、ザンジバル島はケニアでなく、タンザニアにあります。英語とスワヒリ語が共通語のケニアの人も、「ちゃんとしたスワヒリ語を習うならタンザニアで」と言っています。

 9月はまた、1990年代にご家族で赴任され、出産・子育てもされつつ何年も奉仕された20年近く後に再赴任され、中期宣教師として奉仕して下さったコールズ宣教師御夫妻を引退で送り出す月でもありました。ご主人が牧師、奥様が産婦人科医です。最初の赴任の時に高校でメッセージを語られた時の生徒の一人が、今の院内教会(AGCべテスダ教会)の主任牧師先生で、色々例えを使って話されたメッセージをよく覚えている、と折に触れて語られました。奥様の方はご家族の関係で小さい時に日本で数年育たれたので、「きよしこの夜」「さくらさくら」などを時々日本語で一緒に歌って下さいました。フレンズ・オブ・テヌウェク(テヌウェクの友)という団体の橋渡し、折々の行事のビデオ撮影、産婦人科専門医コースの立ち上げ、産婦人科棟の改築、自宅を開放し食事を交えた毎週の研修医の霊的指導、地方教会での奉仕、などなど多くの足跡を残して下さいました。最後の週に手術室としての短いお別れの時を申し込みぎりぎりでしたが快く受けて下さり、ご夫妻ともどもスタッフに励ましの言葉を送って下さいました。自分もそろそろ、なのですが、このように美しく締めくくることができるだろうか、と内心思わされていました。「さようなら」ではなく「またね」と、今度は短期の奉仕で時々来て下さるために、手術室用の靴やロッカーなど、「その時のため」と残していかれたのが慰めでもあり励ましでもありました。

  入れ替わりのように、数年前にほんの数日お迎えしただけのスーザン看護師を数週間の予定でお迎えしています。私が2000年に赴任した時に、あれこれ気になることを冨澤宣教師宅であげつらっていた時に、冨澤宣教師が「うんうん」と聞いて下さり、その後、「信じられないかもしれないけどね、この15年間ですごーく変わったのよ」と諭して下さったことを思い出します。整形外科関連の指導を各地になさる団体に所属されているので、他のアフリカ諸国での指導経験もあるスーザン姉妹ですが、至らない所、あるべき姿を率直に指摘して下さりながら、スタッフを巻き込みつつ、実際の修正もして下さいます。「これでもこの25年ですごーく変わったんですよ」といいつつ、必要な良き変化の妨げとならぬように、と祈っています。マジックペンが、テープが、輪ゴムが、という必要に応えつつ、「最初の2年は特にこうしたものが必要だったなあ」と思い出しつつ、当時かなり根を詰めて行ったもののやり「きる」ことが出来ないままあれやこれやと仕事が増えて、当時よりスタッフの数も分業も進んでいるのに届いていなかったことどもに、今も一日のうちで彼女のして下さっている事を見に行けないほどなんだかんだと追われる中で、必要なところに新たに助け手が与えられていることに感謝しています。

祈祷課題

1. 新スタッフ、新宣教師が与えられた感謝

2.医療保険料の病院への未払い部分が与えられ億単位の赤字が解消されるように

3.病院の働きが福音のために用いられ、働き人(ルカ10:2)が起こされ用いられるように