2月の始めに、「テヌウェクの為に祈る日」が設けられました。先月、政府や保険会社の健康保険負担金が何年も支払われないことで、テヌウェク病院を始め多くのミッション病院が大きな(億単位の)赤字を抱えている事を書きました。そのため、だけでなく、今までの感謝、人材の不足、救霊への働き、将来への展望、宣教師の為、地域への祝福等、多くの課題が順序だてて挙げられて、週日の10時から1時半近くまで、病院の中の集会室で祈祷会が持たれました。また、直近の日曜日には「それぞれの教会でテヌウェクのために祈ります」と「約束」する署名の紙が回され、多くのスタッフが書き込みました。テヌウェク周辺を開拓した宣教師団体WGMの働きで生まれ、現在共働している現地教会団体、AGC(アフリカ・ゴスペル・チャーチ)が今のテヌウェク病院の主体です。院内の祈祷会では、近隣だけでなく、多くのAGC教区の先生が駆けつけ、お祈りに加わって下さいました。お祈りの各項目は、あらかじめ重厚な準備をされたAGCの牧師先生方が前に立ち、お祈りを捧げて下さいました。平日の日中の祈祷会ですが、各病棟代表を送るように、という事で、手術室の主任が別の会議で動けないこともあり、私が代理として出席を許され、回復室、麻酔科、手術室、滅菌室、清掃スタッフ、など手術室内の各グループからもなんとか代表を送るよう調整がされました。人手不足の中ではありますが、一頃に比べて人材も育ち、居残り組に負担をかけつつも、オフィスの鍵を預けて出席できるようになったことは感謝でした。良く備えられた重厚なお祈りに浸され、み言葉に励まされ、今月の給料も支払われるかどうかという状況の中、サムエル記冒頭のハンナのように、希望をもって立ち上がり解散することのできた幸いな祈祷会でした。
祈祷会の中で、数日前に、「トゥナセマアサンテ」という賞がテヌウェク病院に授与されたことも発表されました。

ケニアの有名な作家ラリー・リザ氏が主体となり、過去ケニアに多大な影響を与えた個人や施設に与えられるものです。賞の名前の意味は、スワヒリ語でそのまま「私たちは有難うと言う」という意味です。賞状の最後にも、締めくくりとして使われています。自薦・他薦特に働きかけていなかったのに思いがけず与えられた賞でした。祈祷会で「どん底のように思われる今の状況の中で、不思議なようにすくい上げて励まして下さる主の恵み」とCEOのスピーチで表現されておりました。私自身も社会人時代に底辺のような経験をしていた時に不思議な事を主がして下さったことを想起いたしました。
昨年の8月、いや10月、と献別式の変更・延期が相次ぎましたが、2月に入って、テヌウェク病院でもっとも新しい施設の一つ、CTC(心肺センター)での初手術が行われました。スタッフの面接やら、医療関係のガスの不備やら、今までと別系統の電子医療カルテの練習やら、諸設備の整備やら、部品の補充やら、色々ある中でまずは部分的に心臓外科外来だけを開き、少し経過したところで次に内視鏡部門を開き、と少しづつ前進し、2月17日の予定が一日遅れて18日が初手術日となりました。感謝な事に初手術後の患者さんの経過も順調とのことで喜びと感謝の報告や写真が出回りました。まずは1部屋2部屋だけをしばらく使用する予定とのことです。まだ頼んでいた機材が十分届いていないこともあり、「メイン」と呼ばれる従来の手術室の予定とも相談しながら物資や機材を貸し借りしながらの運用となっています。

「隣の敷地」と言っても、従来の手術室がある病院の敷地からCTCの構内まで、いったん公道に出て少し速足でも徒歩20分位かかります。1個当たり推定30㎏ほどの手術室器械のセットも嵩張る医療資材も車やバイクで運ばれます。巷では、自転車やバイクに2メートル以上の薪の束を高く積み上げたり、左右にはみ出して鉄骨や材木を運んだり、ソファーを括り付けて運んだり、というのを見かけますが、病院間のこうした移動で事故にならないかとハラハラします。
7年以上頑張っていたスマホのバッテリーがとうとう切れて、不自由した月でもありました。最近は患者さんの情報などもやり取りされるので、短期奉仕者用の空き電話を一時貸して頂いたりしましたが、ナイロビに郵送してバッテリー交換、返送、という手段で復活したのは感謝でした。古い型でしたが該当機材があったこと、古いゆえに安く済み、手続きも簡易だったこと、ケニアに直営店は無いようですが修理を扱うお店があったこと、行方不明にならず短期でやり取りできたこと、何もかも感謝でした。切り替えの途中で消えてしまったデータもありましたが、分かる範囲では大事ではなかったことも感謝でした。
祈祷課題
1. CTC初手術成功の感謝
2.保険料未払い等からの病院の経済の必要が満たされるように
3.病院の働きが福音のために用いられ、働き人(ルカ10:2)が起こされ用いられるように